鳥取市議会 2022-02-01 令和4年 2月定例会(第6号) 本文
今日3月3日は、全国水平社創立100周年、その日に当たります。この記念すべき日に、命や識字に関する質問をすることになりました。 さて、この1年余り、毎日が、命と向き合い、死を考え、生きることを問う日々でした。このコロナ禍、父親が入院していましたが、このままでは誰にも会えずに最期を迎えることになるかもしれないと思う状況でした。せめて1度は子や孫に会えるようにと、昨年3月に在宅医療にしました。
今日3月3日は、全国水平社創立100周年、その日に当たります。この記念すべき日に、命や識字に関する質問をすることになりました。 さて、この1年余り、毎日が、命と向き合い、死を考え、生きることを問う日々でした。このコロナ禍、父親が入院していましたが、このままでは誰にも会えずに最期を迎えることになるかもしれないと思う状況でした。せめて1度は子や孫に会えるようにと、昨年3月に在宅医療にしました。
さらに、指導事例として、小学校で3つ、平塚らいてうや市川房枝さんなどを取り上げて女性の社会進出や普通選挙、足尾銅山の公害問題や労働問題、全国水平社の結成など人々が民主主義への高まりがあった、そういうものの学習、教育権を考える識字についての学習、よりよい人間関係を学ぶためのSNS上でのうわさについての学習、中学校では、教育権を学ぶ教科書無償給与制度、奨学金制度、人間の信頼を基盤とする人間関係を学ぶ真の
そして大正11年、1922年、全国水平社が結成され、初めて部落問題が人権問題も含めて俎上にのせられるようになったというふうに理解しております。そして1936年、昭和11年、これは国が融和事業完成十カ年計画という後々の同対法にも匹敵するような計画を出しましたが、戦時下に至って実行されることなく瓦解してしまいました。
やっぱり、長い間の先輩たちの努力によって全国水平社以来で部落差別撤廃運動というのが物すごく全国で燎原の火のごとく広がって、それで行政の責任でこれを解決をしなきゃならないという、昭和40年、1965年の同対審答申があって、それから4年後に同対審を受けて、いわゆる法律、同和対策事業特別措置法が始まった。
歴史的な事実を教えるというのは、これはいわゆる当たり前の話です、全国水平社の問題、同和の問題。寝た子を起こすな云々かんぬんなんていう議論はあるけども、だけど史実にさかのぼって、昔こういう部落差別があった、これは教えていくのは当たり前の話です。 しかし、その中でいいこともあった。解放令にはいいことも書いてあった。そういったことが仮に許されるんだとしたら、これは問題ですよ。
それから、解体新書ですね、これに携わっていただいた人たち、支えていただいた人たち、それから渋染一揆、さらに解放令、そして全国水平社ということで、こういった項目を学んでいくようになっております。これは小学校6年であります。
特に、高学年あたりになりますと、直接的な課題としまして、例えば渋染一揆について学ぶであるとか、あるいは、全国水平社のこと、開放令のこと等々、同和問題に直接かかわったような単元もございます。 そういったことで、年間を通しての計画の中では取り扱っておりますので、参観日のことだけで判断はちょっとしてほしくないなという思いもございます。
同和問題は、明治維新以後も不当な身分差別を受けておりました未解放部落、いわゆる同和地区の住民の先覚者たちが1922年、部落解放を目指す自主的な運動として全国水平社を結成し「人の世に熱あれ、人間に光あれ」「吾等は人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向かって突進す」、そのように宣言をして人間の平等、水平を求めて活動してきました。
その原因は、こうした団体と行政側のなれ合い、癒着、そして「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という全国水平社の民主主義。基本的人権に根差した運動ではなくなり、部落民以外はすべて差別者とする排外主義にあると考えます。その結果として、多くの自治体で同和行政の終結を宣言しつつあります。
1922年3月3日、全国水平社が創立されて80年。人の世に熱あれ、人間に光あれという日本発の人権宣言のもとに、日本共産党も非人間的な生活実態、貧困と差別解消のために戦ってきました。そして1935年、国民的融和を決定しました。1969年、差別解消に向けて国の同和対策事業が始まり、昨年3月31日をもってすべての事業が終了いたしました。